「光る君へ」と読む「源氏物語」
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
今年2月、歌舞伎で光る君を何度も演じている市川海老蔵さんが、13代目市川團十郎を襲名した公演を、御園座で鑑賞しました。襲名披露の口上には、「伝統として引き継いでいかなければならない型もありますが、代々の團十郎さんがそうであったように、創意工夫をして、その代の色をそえてゆくということも大切」というお話があり、「歌謡曲を通して日本を語る~冬」で語られた「時代のバランス感覚を捕らえながら、徐々に刷新するのが保守」に通じるように思いました。
演目には、團十郎さんの子息・新之助さんの初舞台「外郎売(ういろううり」もあって「武具・馬具・ぶぐ・ばぐ・三ぶぐばぐ、合わせて武具・馬具・六ぶぐばぐ」など長台詞も10歳とは思えないほど達者、かつ、すでに独特の花と色を感じました。歌舞伎を観ていて楽しいことの一つが、台詞のなかに、ご当地ネタや時事ネタが入ること。今回は、「御園座」や「團十郎」という名称が上手いタイミングで放たれ、客席が大いに和みました。
台詞ひとつ、所作一つも揺るがせにしないイメージの歌舞伎ですが、出雲の阿国のときと同様に、最先端の芸能でもあるのだなあと。海老蔵時代の13代目團十郎さんは歌舞伎「源氏物語」をオペラや能と融合させた舞台も創り上げています。先代の團十郎さんは生前「そろそろ歌舞伎も、女性が舞台に上っても良いのではないか」と仰っていたようで、寺島しのぶさんが、昨年10月、歌舞伎座の舞台に上られたことは大きな話題になりました。
https://news.ntv.co.jp/category/culture/28852a2aae304fcead6df9114bb67d71
一般的には、男性ばかりが舞台に上がると思われ、「伝統」の例として引き合いに出される歌舞伎界も「時代のバランス感覚を捕らえながら、徐々に刷新」している本当の「保守」だからこそ、現代でも満場の舞台が続いているということになると思います。
今回は、御代替わりによって、光る君を取り巻く状況がどう刷新されてゆくかをみてみましょう。
第十四帖 澪標<みおつくし 船の航路を知らせる杭 歌で「身を尽くし」にかけて用いられる>
光る君は、故・桐壺院を夢に見たことが気にかかっていました。供養のために法華八講を催すと、世の人々がこぞって仕えようとするのは昔に戻ったようで、弘徽殿の大后は、光る君を追い落とせず憤っています。朱雀帝は、桐壺院の遺言を思い、光る君を元の地位に戻して心さわやかになり、患っていた目も良くなりました。
朱雀帝は譲位の決意をしましたが、朧月夜が父・太政大臣を亡くし、姉・弘徽殿の大后も加減がすぐれないのを気遣っています。「あなたに御子ができなかったのが残念でならない。光る君となら、御子が産まれるだろうと思うのも悔しいけれど、臣下として育つことになるのですよ」と行く末のことまで言われるのを、朧月夜は恥ずかしくも悲しくも思います。帝の愛情は深くなってゆくのに、光る君はそれほどには思ってくれなかったと分かってきた朧月夜は、我が身が情けなくなるのでした。
明くる年の二月に、東宮は11歳で元服しました。光る君の顔を二つに写したように美しいと世の人が言うので、藤壺の尼宮は心を痛めています。同じ月の二十日過ぎに朱雀帝は国譲り(譲位)して朱雀院に、東宮は冷泉帝となり、新しい東宮には承香殿(しょうきょうでん)の女御の産んだ皇子が立ちました。
世の中が刷新されて、華やかなことが多くなります。光る君は内大臣となり、引退していた元の左大臣は63歳で太政大臣として返り咲きました。元の頭中将は権中納言となり、正妻(弘徽殿の大后の妹)の産んだ12歳の娘を、帝に入内させようとしています。葵上の産んだ夕霧は美しく、童殿上(わらわてんじょう 元服前の貴族の子弟が宮中の作法を見習うために殿上(宮中)の奉仕を許されること)をしました。二条の邸の東にある院(邸)は桐壺院の遺産で、光る君は「花散里のように気の毒な女性を住まわせよう」と改築をしています。
二月十六日に、明石の君は女の子を産みました。かつて光る君は宿曜(すくよう 星の運行で日の吉凶と人の運命を占う術)で「御子は三人。帝、后が必ず揃って生まれるでしょう。中で劣った子は、太政大臣となり位を極めるでしょう」と言われていて、それが当てはまってゆくようです。光る君は、二条の東の院に明石の君と娘を迎えようと改築を急がせ、桐壺院に仕えていた人の娘を乳母として明石に送りました。娘が産まれたことを伝えられた紫の上は、筝の琴を弾くように光る君が誘っても、明石の君の演奏が優れていることに嫉妬したのか触れようともしません。光る君は、妬いている紫の上も魅力的だと思うのでした。
その年の秋に、光る君は須磨での嵐の際に願を立てた住吉神社に参詣することになり、身分の高い人々も、我も我もとお供します。折しも、例年、住吉神社に参詣している明石の君が舟で到着しましたが、光る君の威勢に居たたまれなくなり「今日は難波に舟を止めてお祓いをしよう」と通り過ぎてしまいました。
惟光から明石の君のことを聞いた光る君は、文を遣わします。
みをつくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひける縁(えに)は深しな 光る君
身を尽くして恋い慕う甲斐あって 澪標のあるここ難波にて めぐり逢えたあなたとの縁は深いのですね
数ならでなにわのこともかひなきに などみをつくし思ひそめけむ 明石の君
人数にも入らぬ私と 何ごとも諦めていたのに なぜ身を尽くし あなたを恋し始めてしまったのでしょう
参詣の帰り道も賑やかでしたが、光る君は明石の君のことが心から離れません。参詣の行列を目当てに遊女が集まってきて、お供してきた上達部(かんだちめ 三位以上の高官 公卿と同じ)も心を奪われているようですが、光る君は恋の情緒は人柄次第と、疎ましく思うのでした。
御代替わりのため、伊勢の斎宮も替わったので、六条御息所も京に戻りました。光る君は、身分が高くなって忍び歩きもできないので、御息所との逢瀬をしようとはしませんが、斎宮には会いたいと思っています。御息所は六条の邸を修理して優雅に暮らしていましたが、急に病となって心細くなり、伊勢で仏を厭う年月を過ごしたことも畏れて、出家してしまいました。
見舞いにやってきた光る君に、御息所は斎宮の後見を頼みます。「心の及ぶかぎり、万全のお世話をいたします。心配しないでください」という光る君に「いやな気の回し方ですけれど、決して娘に色めいた思いをお寄せにならないで」という御息所。「近頃は、分別もついてきましたのに、昔のように色好みの心の名残があると言われるのは残念です。まあ自然にお分かりになるでしょう」と言いながら、光る君は、御帳台(みちょうだい 寝殿造の母屋に設えた正方形の台の上に畳を敷き、四隅に柱を立て帳 を垂らした調度。寝所または座所)の東側にいる斎宮を、帳の隙間から目を凝らして見通そうとします。斎宮の可愛らしい様子に心惹かれますが、御息所がああまで言ったのだからと、光る君は思い直すのでした。
七、八日後に、御息所は亡くなり、光る君は法事の世話をします。朱雀院は、斎宮が伊勢に下る際に見た美しさを忘れがたく、生前の御息所にも宮仕えさせるように伝えていました。後見もないことなどから遠慮していた御息所が亡くなった後も、朱雀院は宮仕えをするよう熱心に誘います。
光る君は、院の意向に背くのは憚られることながら、可愛らしい様子の斎宮を手放すのが惜しく、藤壺の尼宮に、冷泉帝への入内はどうかと相談します。「よく考えつかれました。院の御意向に背くのは畏れ多く、お気の毒ですけれど、御息所の遺言を口実にして、知らぬ顔で入内させるのが良いでしょう」という藤壺の言葉に、「それでは、帝への入内の御意向があって、斎宮を妃の一人として数に入れてくださるなら、私は口添えするだけにしましょう」という光る君。さりげなく二条の邸に斎宮を移そうと考えたことを光る君が伝えると、紫の上は喜んで、斎宮を迎える準備を急ぎます。
兵部卿宮(紫の上の父)も姫を入内させようとしていますが、須磨に隠遁している間、紫の上に冷たかったので、光る君との仲が以前ほど良くありません。権中納言の娘(弘徽殿の大后の姪)は、入内して弘徽殿の女御となり、冷泉帝のよき遊び相手になっています。「兵部卿宮の姫も同じ年頃で、また雛遊びのようになってしまいそうなので、斎宮のように大人びた世話をする人ができるのは、嬉しいこと」と藤壺は息子の帝に伝えたようです。藤壺は病気がちなので、帝の傍にいて後見をする人が、確かに必要なのでした。
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皇女である藤壷の産んだ東宮が、とうとう帝になりました。第一帖で示された「帝になれば国が乱れる。臣下ならば道が開ける」との高麗の人相見の言葉によって皇子から源の姓を賜って臣下となった光る君は、11歳の帝の後見として、絶大な権力を手に入れたようですね。
「光る君へ」で、藤原兼家(段田 安則さん)が娘・詮子(吉田羊さん)の産んだ皇子を7歳で即位させたのは、天皇の外祖父(母方の祖父)になり絶大な権力を手に入れるため。皇族、もしくは姓を賜り臣下となった元皇族に権力を握らせまいと藤原氏が画策するのは当然で、六条御息所のように演じられた道長の妻・源明子(瀧内公美さん)が、兼家の扇を手に入れて呪詛したのは、父の左大臣・源高明が、天皇の外戚になりかけて左遷されたからでした。
作家の井沢元彦さんは、政敵であるはずの源氏を主人公とした「源氏物語」を藤原道長が描かせたことに疑問を持ち、「逆説の日本史④」において、怨霊鎮魂説を唱えています。光る君が、藤原氏と思しきライバル・頭中将に常に勝利し、藤壺の産んだ皇子が帝になるのは、失脚させた帝の血を引く源姓の人々が怨霊にならないように、「源氏物語」の中で勝たせている。さらに、「逆説の日本史④」執筆後に気づかれたこととして、冷泉天皇(花山天皇の父)の時代に左大臣・源高明が大宰府に流罪になっているので、「源氏物語」で光る源氏の息子であり、同名の冷泉帝が即位するのは、やはり怨霊鎮魂で間違いないとYouTubeで語っておられます。
https://www.youtube.com/watch?v=FEvTIN3Vxy4
道長は明子と6人、正妻・源倫子とも6人と、源姓の妻と12人もの子供をもうけました。「源氏物語」は、源氏を持ち上げ、特に明子の父、光る君のモデルの一人である高明を鎮魂する側面もあるのかもしれません。
井沢さんによれば、「平家物語」も、滅びた平家を讃えて鎮魂する物語とのこと。吟遊詩人のように全国を行脚する琵琶法師の弾き語りを楽しみながら、庶民は世の変わる様を体感したのでしょう。
六条御息所が世を去る前に「決して娘に色めいた思いをお寄せにならないで」とクギを刺すのは、花山院(本郷奏多さん)が、母娘を同時に寵愛し、双方に子供を産ませた史実を想起しました。瀬戸内寂聴さんは「光る君は母娘とは深い関係に至らない」と指摘しており、これは御息所の呪文が効いているのでしょうか。
新しい帝には、次々に入内の話が持ち上がっていて華やかですね。「御息所の遺言を口実にして、知らぬ顔で入内させるのが良いでしょう」と言い放つ藤壺は、不義の発覚を恐れつつ、国母(こくも 天皇の母)として策士にも悪にでもなると腹をくくり、まるで弘徽殿の大后に取って代わったかのよう。「光る君へ」で悪を引き受け、大奥を作った春日局のごとく薬も摂らず、道長に後事を託して世を去った詮子も髣髴とします。
二条の東の院に女性を住まわせる計画は、光る君が須磨で後見のない不遇を感じたり、身分が高くなり気軽に出歩けないからである一方、疑似後宮によって帝になれなかったルサンチマンを晴らすためのようにもみえます。手に入れた権力を光る君と道長がどう使うのかも比較していただけたらと思います。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
六条御息所に「決して娘に色めいた思いをお寄せにならないで」と言われて「近頃は、分別もついてきましたのに」とか言いながら、実は心惹かれていたという光る君って、やっぱりスゴイ。
これで思い直さなかったら、御息所は怨霊になって祟っていたかもと思ってしまいました。
それはともかく、見事に復活を遂げて権力を手にした光る君、これからどうなっていくのか?
次回が楽しみです!